厳島神社じゃ
厳島神社本殿

厳島神社の本殿じゃ!さすがに風格がありすぎますの~!(汗)繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面にゃぁ緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた本殿にゃぁ、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られとるんじゃけぇの。現在の本殿は元亀2年(1571年)、毛利元就によって改築されたもんじゃ。
本殿手前に見えるんが高舞台(たかぶたい)じゃ。
また本殿、高舞台から大鳥居に向こぉての平板が平舞台(ひらぶたい)と呼ばれ寝殿造りの庭にあたる部分で、広さは167.6坪(約553平方メートル)もあるんじゃ。
前方にゃぁ火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、管絃祭の出御・還御はここから行われますけぇの。
また他の社殿の束柱は木造じゃが、この平舞台を支えるなぁ、毛利元就によって寄進されたゆぅて伝えられる赤間石の柱。火焼前分と合わせると239本あるんじゃ。
高舞台(たかぶたい)


高舞台(たかぶたい)じゃ。 本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したっちゅう舞楽がここで演じられますけぇの。 舞楽の舞台としちゃぁ最小のもん。現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守房顕によって作られたもけぇ、当初は組立て式じゃったもんが江戸時代初期に現在んような作り付け構造になったゆぅて考えられとるんじゃけぇの。
この高舞台なぁじみゃぁ治承元年(1177)に遡るといわれとるんじゃけぇの。
元禄10年(1697)「厳島道芝記」じゃぁ高舞台での舞楽奉奏の図が記されとるんじゃけぇの。


こりゃぁ反橋(そりばし)ゆいますけぇの。 反橋(そりばし)は、かつて重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれた。現在の橋は、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元おとん子によって再建されたもけぇ、擬宝珠の一つに刻銘が残っとるんじゃけぇの。
ここが能舞台(のうぶたい)じゃ。 国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。現在、重要文化財に指定されとる国内5つん能舞台のうちの1つでもあるんじゃ。厳島での演能は、永禄11年(1568年) の観世太夫の来演がその始まりとされ、慶長10年(1605年)にゃぁ福島正則が常設の能舞台を寄進。現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたなぁ藩主が浅野氏に代わった延宝8年(1680年)のことじゃ。この能舞台は海上にあるため通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がのぉて、足拍子の響きをようするため舞台の床が一枚の板んようになっとるんが特徴。春の桃花祭神能がこの舞台で演じられるほか、茶道表千家と裏千家家元が隔年交互に執り行う献茶祭じゃぁここでお茶が点てられ御神前に献じられますけぇの。
